【新講座】ロシア文学を読む
講師:安岡 治子(東京大学名誉教授)
日時:午後2時~午後4時
第1回:5月2日(火):アントン・チェーホフ
第2回:5月30日(火):ファジル・イスカンデル
ロシア文学と聞くと長編で難解という印象を持つ方も多いと思いますが、本講座では短編から繋いで読むこみ、ロシアの歴史や文化、意外な国民性を安岡先生の丁寧な解説によって味わうことができます。
各回、一人の作家に焦点を当て作品を読み、解説を聞きます。第1回はアントン・チェーホフ、第2回はファジル・イスカンデルの作品を取り上げました。
是非、一読してのご参加をお待ちしていますが、読まずに参加⁉も可能です。
・第1回:5月2日:アントン・チェーホフ
日本では劇作家として「かもめ」や「桜の薗」でも有名ですが、貧しい庶民の生活を短編で多く残しています。チェーホフの生家は食料雑貨店を営み経済的には苦しい中で、16歳でモスクワ大学の医学部を卒業して家族を支えながら執筆に励み、医学は正妻、文学は愛人と言って書き続けました。
第一回では、チェーホフの短編をいくつか取り上げて味わい、それぞれについて安岡先生から解説を聞きました。以下に課題図書の一部をご紹介します。
「ふさぎの虫」:
客待ちの辻橇屋(かんじきや)が雪の降り注ぐ町で、自分の息子が1週間前に死んでしまった悲しみを客に話すも、誰にも同情してもらえません。辻橇屋というのがその時代とロシアの寒さを表し、悲しくふさぎこんだ主人公の寂しさと乗り込んでくるお客の勝手気ままな様子のギャップが一層主人公の孤独感を伝えます。女房のことを聞かれれば<湿った土>だと言います。それは墓の中という意味で一人ぽっちに残された主人公の寂しさが一層胸にのしかかるふさぎの虫として苦しめ、このやるせなさを橇(そり)を引く馬にしか聞いてもらえない老人の孤独な姿が迫ってきます。
「ワーニカ」:
クリスマスの夜、奉公に出されていた幼い男の子みなし子ワーニカが辛い仕事に耐えられないことを切々とおじいちゃんに手紙を書きます。しかし、村のおじいちゃんとその名前だけが宛名に書かれた手紙をポストに勇んで入れても…当時の識字率は20%なのに奉公先のお嬢様に習ったのか、この少年は9歳としても良く手紙が書けました。たぶん字も書けず読めない田舎のおじいちゃんとの生活は貧しいながらも温かくワーニカの記憶にあります。グレオリス歴ではクリスマスは1月。明るく迎えられるモスクワの町の様子と、どうしようもなく貧しい田舎の庶民の生活が少年の言葉で語られています。
・第2回: 5月30日:ファジル・イスカンデル
作者ファジル・イスカンデル(1929年―2016年)はジョージアの最西端、黒海に面しているアブハジア自治共和国の人です。1917年のロシア革命にソ連邦に併合され、1991年のソ連崩壊後アブハジアはグルジアと戦いロシアだけが認める自治共和国となった特殊な土地です。アブハジアは風光明媚な温暖な土地で、ソビエト時代はスターリン(グルジア人)も別荘を持ちよく訪れていました。イスカンデルは幼少期のアブハジアの様々な言語や多民族が交じり合う文化を愛し、ユーモアを交えて作品に反映させています。
第二回では、イスカンデルの長編を取り上げて、安岡先生の歴史的背景を踏まえた解説を聞きました。19世紀末~フルッショフ時代にわたるアブハジアの民族、風俗習慣が語られ、異民族が混在するモザイク文化をユートピア化するのではなく互いの衝突、差別をできるだけ排除し、どの民族にもある自分と異なる民族に抱く違和感、偏見は避けがたいものとしつつも民族の多様性を押しつぶすある種の全体主義をエンドゥール性といい、あらゆる民族がエンドゥール人になり得るとしました。
「略奪結婚、あるいはエンドゥール人の謎」:
略奪結婚という少し乱暴ではあるが一つのプロポーズの仕方に友人から手助けを頼まれた主人公は自分も同じ思いを寄せる女性の略奪をなんとか男との友情を傷つけずにこの場をどうやって凌いで自分のものにできるかをユーモラスにそして意外な展開で読者を引き付けます。エンドゥール人というのは架空な民族です。ある民族が他の民族に描く差別感を、自分の民族が一番であるという偏見をこの短編では笑い飛ばして平和的なものにしています。また、元貴族への寛大さと友情を余情たっぷりに綴ります。略奪から50年過ぎた老夫婦のやりとりも主人公のサンドロおじさんの豪放で理屈っぽく皮肉がきいた性格は変わらず、夫婦の年季のいった関係は微笑ましいです。
今後の予定は、
6月20日:アンドレイ・プラトーノフ「ジャン」
7月18日:ヴェネディクト・エロフェーエフ「酔いどれ列車モスクワ発ペトゥシキ行」
です。
共に火曜日午後2時~午後4時の開講です。