真生会館たよりvol.2「自分を愛し、自分へと生きる」「真生会館の講座紹介」「真生会館の思い出」
■自分を愛し、自分へと生きる
『自分が自分となっていく、命育て』
真生会館の四つの柱のひとつ、〜キリスト教の光に人間の生き方を求めて〜の中で、開講しているこの講座では、『自分が自分となっていく、命育て』への向き合い方を伝えています。
祝福された私たち
それは、全ての人の命は、神によって祝福され「しっかり生きておいで」と、この世へ送り出され、こうして存在している私たち一人一人。その命の内には、尊い意味が秘められている。それは、自分に出会いながら、自分を深く知り、自分となっていく途上の中で観えてくるもの。他者との関わりの中で観えてくるものでもありましょう。だからこそ、自分と出会う事は=他者と出会う事であり=ひいては、互いの命の祝福主である「神」と出会う事に通ずる。神と自分との絆:縦軸と、他者と自分との絆:横軸の交わり(十字架の中心)におられるイエスと共に、生き活かされていく「道」。この道すがらの中で、『キリスト者の自分が、自分となっていく道』。私はそう味わっています。
「聴く」こと
この内的視点から、”聴く”事を中心に、四つの側面:①自分を「聴く」②相手を「聴く」③自分を「語る」④互いの存在から「聴き届け合う」とは、どのような事なのか?を、理論と実践を交えて、ご一緒に考え・味わい・深め・身につけていく参加型講座です。
共に生かされて
人々の心の拠り所「真理といのち」への憩いの場となっているこの会館で、多くの方々と出会いながら、神の時の中で「共に生かされている」喜びと活力を頂いている私です。
■参加者の声
「自分を愛し、自分へと生きる」の講座に参加して
今回、『自分との関わり方』や『聴く』について学ぶ事が出来ました。ポイントを分かりやすく伝えて下さるので、生活の中で活かしやすく、イライラする事・自分を責める事が減ってきました。明るく・楽しい雰囲気のこの講座に参加できてよかったと思います。(齋藤 美紀)
「自分を愛し、自分へと生きる」あらためて「あーそうなんだ!」と。自分の内なる声は神に直結している。自分の気持ちがガサついている時は、神に祈りあいながら自分の正直な気持ち(正直な内面)を知って、自分に有難うと声をかけることを学んだ。
自分の弱さを通して他の人の弱さも知る。講座で学んだ事は私の奥底で響き、日常で関わりのある方との間で生かされ、大きな糧となっている。(羽田 勝子)
■真生会館の講座紹介
真生会館の講座は、以下の四つの柱にそった内容で企画されています。「Ⅰ 現代人の生き方、社会を考える」「Ⅱ キリスト教の光に人間の生き方をもとめて」「Ⅲ キリスト教文化・教養(音楽・読書・話し方)」「IV キリスト教の源泉と遺産」その中から、開催されたいくつかの講座を紹介します。
「命へのまなざし」
ホアン・マシア(イエズス会司祭)
「いのち」の問題を、常に良心に基づいて創造的に考えるというテーマでお話下さいました。「生命倫理は、単なる禁止事項ではなく、機械的にイエスかノーで語れるものでもない。ドラマ的であり、真理に根ざしたもっと大きな人類が共有できる価値観への追求が求められる。」
「日本とベトナムの間で」
ファム・ディン・ソン(横浜教区司祭)
ソン師は、ボートでベトナムを脱出(詳細は『涙の理由』に)し、1982年に来日以降日本に定住。1994年に司祭となり、日本とベトナムの懸け橋として超多忙の日々を送っている。現在、日本で働くベトナム人は三十万人。多くは商品の如く扱われる労働環境下に。人間回復を願う神父の奔走の日々は続く・・。
「音楽と祈り」
三澤 洋史(新国立劇場合同指導者・指揮者)
あらゆる芸術の中でもっとも霊的なものが音楽である。音楽の感動は愛と同じで、百パーセント神からの恩寵であり、神の恵みによって得られるもの。モーツァルトからコルトレーンまで偉大な作曲家は見えないものが見えて繋がっている。バッハはその中でも突き抜けて天と「常時接続」。三澤先生の講座は、ご自身の体験をもとに、宗教的見地から音楽の本質を真摯な態度で語られた授業である。軽妙な語り口で作曲家の神秘を時にピアノ生演奏で解説。後期も講座は続きます。
「美術と聖書」
レンボ・アンドレア(ミラノ外国宣教会司祭)
イコンは飾り物ではなく、神様の世界を見せてくれる窓であり、見る福音として読むものです。イコンは西洋美術の基本であり、読み方を学ぶことで見方が初めて分かり、美術をみる目がかわり理解が深まるスリリングな講座でした。
こどものためのコンサート
「三びきの子ブタ」
二台のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロにピアノの迫力ある演奏で「三匹のこぶた」のお話にすっかり引き込まれたちびっ子たち。演奏者が子供たちに準備した幼児用の小さなバイオリンやチェロを実際に手に取って弾ける体験には長い行列が!家族で楽しめたい熱いひと時でした。
■真生会館の思い出
小柳 義夫(評議員)
真生会館との出会い
筆者は1962年東京大学に入学し、カトリック研究会(カト研)、東京カトリック学生連盟(東京学連)、日本カトリック学生連盟(日本学連)などで活動した。当時は、多くの大学にカト研があり、日本の各地に学連があり、その連合体である日本学連も健在であった。これらの組織は、指導司祭は置いていたが、基本的に学生が自主的に計画を立て、活動していた。
学生活動の拠点
東京でのカト研や学連の活動拠点は真生会館であった。これは岩下壮一神父が戦前に建てた聖フィリッポ寮の跡に、1952年に建てられた木造二階建ての会館である。筆者も足繁く通った。築十年であったが当時すでに床がミシミシたわむなど老朽化していたことを記憶している。真生会館には、粕谷甲一神父、ネラン神父、井上洋治神父などが住み、カト研や学連の指導を精力的に行っていた。
夏の全国大会
日本学連は毎年夏に全国大会を開き、かなりの数の学生が全国から集まっていた。毎回テーマを定めてテーマに沿った講義を聞くとともに、セミナーと称する分科会が四つほどあり、各地の学連では大会でのセミナーに向けて勉強会を精力的に行った。筆者が関係したのは、「科学と宗教」とか「日本文化とキリスト教」とかいうセミナーであった。レベルはともかく、問題意識は今から見ても核心をついていたと思う。
建物は変わっても
その後、カトリック研究会もだんだん減少し、各地の学連でも活動中止が相次いだ。カトリック学生センターである真生会館は、学生活動をどう支援したらよいか手探り状態であった。1970年からネラン師が理事長兼館長となり、1973年に鉄筋コンクリート六階建ての会館を建設した。その竣工記念パーティの司会をしたことは昨日のことのように覚えている。それも2016年には建て直されて現在の真生会館となった。
私の原点 真生会館
かれこれ六十年近く真生会館の活動に参加してきたので、筆者のキリスト教理解は真生会館で形成されたと言ってよい。その後の私の原点となった。