2018年10月6日「感謝の集い」
「感謝の集い」
菊地功大司教をお招きして、2018年10月6日真生会館のリニューアルオープン二周年「感謝の集い」を開催しました。
感謝ミサ
菊地大司教と森司教、福島神父の司式により、3Fネランホールで「感謝ミサ」を捧げました。
菊地大司教は、ミサの説教の中でなかなか信者が増えないことなど、日本の宣教状況の厳しさ難しさに触れました。しかし、第一朗読から「わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ書55:13)を引用され、どんな状況でも神はご自分の望みを必ず実現されるということを語られました。
教会内外に蒔かれた神の言葉の種を、相応しく育まなければならないのですが、その方法はわたしたち一人ひとりには分からないものであるかもしれないのです。それでも、教会共同体として種が相応しい芽を伸ばしていくよう向き合うべきでしょう、といった点を強調されました。
だからこそわたしたちは、フランシスコ教皇のおっしゃるように、弱い立場に置かれた人々のところへと出ていき、寄り添わなければならないということを、福音朗読の『「見失った羊」のたとえ』( ルカ15:1-7)触れながら話されました。
真生会館についても、これまでの信仰養成や学びの場としての働きを評価し、信徒養成としての役割や、福音宣教への貢献などの期待を表されました。
ミサの最後で、大木館長より、菊地大司教への感謝と参加者の方へのお礼の言葉が述べられました。
懇親会
ミサ後は、B1F岩下ホールにて、軽食を取りながらの懇親会を行いました。
理事長である森司教の挨拶と乾杯があり、菊地大司教を囲んで参加者と交流の時間を持ちました。
講演会「宣教師としての体験から見る宣教の喜び」
午後の記念講演会では、菊地大司教がご自分の体験に基づいて、宣教について、ユーモアを交えて話されました。司祭叙階後から、長年にわたり活動されたアフリカの教会での経験、日本に戻り、司教叙階され教区長として働かれた新潟教区での経験、そしてこれからの東京大司教区のことについて、語られました。
まず、ご自分のモットーとしての「多様性における一致」の意味を説かれました。聖書のことばを引用して、パウロの「一つの体は多くの部分」という箇所から、わたちたち一人ひとりが異なる個性、能力を持つがゆえに、キリストに結ばれた一つの体となっていることの重要さを指摘しました。一致していること、一つであることの意味をヨハネ福音書の「内にいる」ということばや「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体」やエマオへの道での「一致するために旅立つ」などの聖書のことばから説明されました。
そして使徒言行録2:42-47に描かれた初代教会の共同体としての姿勢が、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」という結果を生んでいることを述べられました。現代においての「宣教」理解について、『福音宣教』『教会憲章』などを挙げて福音宣教の意義や、現代においての共同体を作り、成長させていくとの重要さを解説されました。
アフリカでの活動については、1994年まで西アフリカのガーナに宣教師として派遣され、コフォリドゥア教区の小教区で主任司祭として司牧活動を行った時の様々なエピソードを、オソンソン村の教会などの写真をプロジェクターで映しながら話されました。広大な地域を数少ない司祭が司牧するため、各地で信徒が積極的に共同体を支え、育んでいる様子がうかがえました。
新潟教区での活動については、新潟県、山形県、秋田県と縦に広がり、交通の便がよくない教区が一体となって行動することの難しさ、その一方で農村地域に住む日本人と結婚されたフィリピン出身の女性たちなどを支援し司牧する困難さなど、多くの課題に教区長として取り組まれたことを話されました。ここでも、教会が近くにない女性たちが皆で協力して、周りの人たちに呼びかけながら共同体を育てていき、あらたな教会を作ることができたエピソードなどが紹介されました。
最後に、東京大司教区での取り組みについてふれ、それぞれの地域の特色に応じた、現代における福音宣教の可能性について話されました。
(文責 真生会館 館長 大木 聡)