『何事にもときがあり、天の下の出来事には、すべて定められたときがある。
生まれるとき、死ぬとき。植えるとき、植えたものを抜くとき。(中略)
破壊するとき、建てるとき。』(コへレト3の1~8)
これは、旧約聖書のコヘレトの一節。私が好きな言葉の一つです。真生会館も、さまざまな時を刻んできました。
真生会館が、産声を上げたとき。それは、今から80数年前の1934年。日本全体が軍国主義一色に覆われて行った日本社会に、キリスト教的な価値観に根ざした若い人々の育成の必要性を確信した岩下壮一神父によって、財団法人聖フィリッポ寮として誕生しました。
それは、日本社会の流れ・世界観に逆らうチャレンジだったと言えます。そのチャレンジ精神は、今日まで、さまざまなときを刻みながら、途切れることなく、受け継がれてきました。
その間、変動の激しい日本社会と向き合いながら、その中に埋もれたり流されたりもせず、真の光と真理に飢え渇く学生をはじめ一般社会人を対象とした、カトリック精神に基づく世界観・価値観を発信する基地としての役割を果たしてきました。
この度、多くの方々に支えとご協力によって新装なった真生会館は、創立者の精神を受け継ぎながら、新たなときを歩むことになります。この新たな歩みに、これまで以上の皆様方のご理解・ご協力をお願いすると同時に、多くの方々のおいでをお待ちしております。
2016年9月15日
真生会館 森 一弘
JR総武線信濃町駅改札を出て右側徒歩1分
『何事にもときがあり、天の下の出来事には、すべて定められたときがある。
生まれるとき、死ぬとき。植えるとき、植えたものを抜くとき。(中略)
破壊するとき、建てるとき。』(コへレト3の1~8)
これは、旧約聖書のコヘレトの一節。私が好きな言葉の一つです。真生会館も、さまざまな時を刻んできました。
真生会館が、産声を上げたとき。それは、今から80数年前の1934年。日本全体が軍国主義一色に覆われて行った日本社会に、キリスト教的な価値観に根ざした若い人々の育成の必要性を確信した岩下壮一神父によって、財団法人聖フィリッポ寮として誕生しました。
それは、日本社会の流れ・世界観に逆らうチャレンジだったと言えます。そのチャレンジ精神は、今日まで、さまざまなときを刻みながら、途切れることなく、受け継がれてきました。
その間、変動の激しい日本社会と向き合いながら、その中に埋もれたり流されたりもせず、真の光と真理に飢え渇く学生をはじめ一般社会人を対象とした、カトリック精神に基づく世界観・価値観を発信する基地としての役割を果たしてきました。
この度、多くの方々に支えとご協力によって新装なった真生会館は、創立者の精神を受け継ぎながら、新たなときを歩むことになります。この新たな歩みに、これまで以上の皆様方のご理解・ご協力をお願いすると同時に、多くの方々のおいでをお待ちしております。